~ジャパニーズウィスキー~前編

アイルランド・スコットランド・アメリカ・カナダと並び、「世界5大ウイスキー」の1つに数えられ今、世界的にも高く評価されている「ジャパニーズウイスキー」。
前編ではジャパニーズウィスキーの歴史や特徴などご紹介させて頂きます。

日本での『ウィスキー』誕生


この日本で”ウイスキー”が生まれたのは一体いつなのでしょう。
そもそもウイスキー自体が日本に運び込まれたのは鎖国時代まで遡ります。
時は1853年、あの黒船来航でペリー率いるアメリカの艦隊が運んできたと言われています。
浦賀沖の黒船の中でスコッチウイスキーとアメリカンウイスキーを飲んでいたわけですね。
ちなみに当時交渉にあたった日本の役人や通訳にもウイスキーがふるまわれたといいます。
(なお、2度目の来航時には13代将軍・徳川家定にアメリカンウイスキー1樽が献上された記録も残されています。)
そして日本は開国。明治時代を迎えます。
その頃、ウイスキーはもっぱら日本に住む外国人用に輸入されていました。しかしその輸入量は多くなく、西洋のお酒は主にブランデー、ビール、ベルモット(白ワインにニガヨモギなどの香草を足したフレーバードワイン)などが飲まれていたそうです。
開国からしばらく(50年間くらい)はウイスキーは飲まれなかったようですね。
徐々に西洋の文化が日本に浸透し、洋酒を飲む人々も増えて来た1902年、日英同盟が締結されます。
当時世界最強の先進国であるイギリスと仲良くなった日本はスコッチをバンバン輸入するようになります。ここからウイスキーが飲まれるようになるわけです。
今も日本でスコッチが多く飲まれている理由が垣間見えますね。

『ジャパニーズウィスキー』誕生

1911年に関税自主権(国が輸入品に対して関税を決められる権利)が回復したことによって輸入アルコールに税金がかかってきます。
つまり輸入するウイスキーが高くなったわけです。
これは困ったということで、それならば国内でウイスキーを造ったらいいのでは?という風に日本国産のウイスキーを造ろうという気運が徐々に高まります。
そして大正12年、西暦でいえば1923年に日本で初めて本格的なウイスキー蒸留所が大阪府山崎に建てられました。

国内第一号の蒸留所はみなさんもご存知、「サントリー山崎蒸溜所」。
今はサントリーウイスキー”山崎”を造っている蒸留所です。
昔、サントリーは「寿屋」という名前の会社でした。その創業者である鳥居信治郎と、寿屋の社員で蒸留技師の竹鶴政孝が日本初の蒸留所を創設したのです。

日本のウィスキーの父『竹鶴正孝』


日本のウイスキーを解説するにはこの竹鶴氏を置いては語れません。
竹鶴政孝は広島の造り酒屋に生まれました。
酒屋に生まれた時点である程度人生のロードマップは決まっていたようにも見えますが、もちろん家業でもある酒造りを学ぶため大阪高等工業学校醸造科へ入学します。
当時、醸造学の権威であった坪井仙太郎氏に教えを受け酒造りの面白さにハマっていきます。しかし竹鶴氏は日本酒ではなく、洋酒造りをしたいと思い始めます。
卒業後は国産洋酒メーカーのパイオニアである摂津酒造に就職し、洋酒を造りを学びます。その後、摂津酒造の社長である阿部喜兵衛氏の命を受け、本場スコットランドのウイスキー造りを学ぶため1918年に留学。スペイサイドのロングモーン蒸留所やキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所でウイスキー製造方法を学び帰国します。
帰国すると、日本は戦時下。景気が悪化し、資金繰りに苦難していた摂津酒造にはウイスキー開発をする余裕はなく、計画は途中で頓挫してしまいます。
竹鶴氏は職にあぶれ、しばらく化学の教師として働きます。
そんな中、日本初の本格ウイスキー製造を目論む鳥居氏に目をかけられ、彼の会社寿屋(サントリー)にスカウトされます。
こうして寿屋に勤めることになった竹鶴氏は、スコットランドで学んだ知識と経験を活かし、1929年に国産第一号の本格ウイスキー「サントリーウイスキー(通称:白札)」を造り上げたのでした。

この竹鶴政孝と、その妻リタをモデルとしたNHKの朝ドラ「マッサン」が2014年に放送されました。

ジャパニーズウィスキーの魅力と特徴


日本のウイスキー造りはまだ100年に満たないですが、独自の進化を遂げてきました。
ウイスキーの風味は、造られる風土に大きく左右されます。
日本は四季がはっきりとしており、ウイスキーの本場スコットランドの風土とよく似ています。
日本の各蒸留所が建設されている地域は、冷涼で湿潤な気候が多く、水も豊かでウイスキー造りには非常に適した環境といえます。
日本で生まれたジャパニーズウイスキーは、スコッチウイスキーを手本にしながらも、多くの日本人の好みに合わせて、スモーキーフレーバーは抑えめな作りとなっています。
ジャパニーズウイスキーで最も流通しているのはモルトとグレーンのブレンデッドで、そのウイスキーのブレンド方法や性質の特殊性が国産ウイスキー最大の特徴と言えます。
原酒の生成に使用する樽の素材にミズナラを使用しているのも風味を魅力的にしていて、若いウイスキーはココナッツの様な香りを持ち、長く熟成されたウイスキーは芳醇となり、まるで沈香や白檀のような深く落ち着いた気品のある芳香へと変化しているのが特徴です。
日本国内ではシングルモルトだけでなくブレンデッドウイスキーも多種多様に製造され、アイラモルトの様なスモーキーなウイスキーから、スペイサイドのようなスムースな物まで、1つの蒸留所において多様化されている事もジャパニーズウイスキーが評価を受ける理由で、様々な工夫がなされているため、個性のある魅力的な銘柄が多数あるのも特徴と言えます。

前編まとめ

前編ではジャパニーズウィスキーについてご紹介させて頂きました。
『竹鶴正孝』が日本にウィスキー製造の技術と知識を持ち帰っていなかったら今のジャパニーズウィスキーは存在しなかったかもしれません。
朝ドラ「マッサン」を見ながらウィスキーを愉しむのもいいかもしれませんね。
それでは皆様良い週末をお過ごしください。
 
 

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